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こんにちは、へむきーです。
論語は、2,000年以上読み継がれる「知恵」。これまで延べ3,000人以上に、論語をもとにした学びや実践のヒントを伝えてきました。

私の得意なことで誰かの役に立ちたい!けど、何も行動に起こせてない…本当に今のままでいいのかな…。

実は、私もずっと同じ悩みを抱えていました。
文章を書くのが好きだったのに、「大したことないし…」と引き出しにしまい込んでいたんです。
人に見せるなんて恥ずかしいし、どうせ役に立たないだろうって…。
でもね、ある日ふと目にした論語の一節にハッとしたんです。

「斯(こ)こに美玉(びきょく)あり、善賈(ぜんこ)を求(もと)めて諸れを沽(う)らんか。子(し)曰(のたま)わく、これを沽らんかな。我(わ)れは賈(こ)を待(ま)つ者(もの)なり。」¹)
「宝石は箱にしまうのではなく、世に出してこそ価値がある」
──そうか、私の得意も同じなんだ。出してみなきゃ、誰の役にも立たないんだ。
得意なことを活かして人の役に立ちたい女性へ。論語の一節「美玉のたとえ」とココナラ活用法を紹介。自分の強みを世に出す3つの行動を解説します。
この記事を読むことでわかること
・あなたの才能は隠すものではなく、世に出してこそ輝くということ。
その第一歩としておすすめなのが、オンラインスキルマーケット「ココナラ」での出品。
・3つの行動「自分の得意をリスト化」「小さな出品から始める」「フィードバックを活かす」で自分の強みを世に出す。
・ココナラで出品することで、あなたの得意が誰かの人生を支える力になるかもしれない。そして、それは同時に、あなた自身の生き方に自信を与えてくれる。

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なぜ才能を出品すべきなのか?
人の役に立ちたい気持ちがあっても、「自分には大したことがない」と感じる女性は多いものです。 でも本当にそうでしょうか? 実は、あなたが「当たり前」と思っている得意なことこそ、他の人にとっては価値のあるサービスなのです。
論語から学ぶ「才能を出す勇気」
孔子が説いた「美玉のたとえ」は、まさに今の私たちに通じます。 どれだけ美しい宝も、箱に入れて隠してしまえば誰の目にも触れず、誰の役にも立ちません。

才能も同じで、世に出すことで初めて「ありがとう」と言われる喜びや、社会とのつながりが生まれます。
ココナラで出品
オンラインサービス「ココナラ
」は、自分のスキルを気軽に出品できるプラットフォームです。
例えば…
- イラストを描く → アイコン作成やグッズ用デザインに
- 文章を書く → SNS投稿代行やキャッチコピーに
- 相談に乗る → 恋愛やキャリア相談サービスに
- ハンドメイド作品 → オーダーメイド品として販売
こうしたサービスはすでに多くの利用者がいて、「私なんか」と思っていたことが、意外なほど喜ばれるのです。

小さい頃から絵をかくのが好きだったから、イラストは興味ある!ただ、自分に自信がなくて、まだ“得意なこと”がぼんやりしているの…。どうすればいい?
3つの具体的行動
- 自分の得意をリスト化する →「人から褒められたこと」「夢中でやってしまうこと」を書き出しましょう。
- 小さな出品から始める → 500円や1,000円のサービスでも大丈夫。最初の一歩を踏み出すことが大切です。
- フィードバックを活かす → 購入者の感想から改善を重ね、サービスの質を高めていきましょう。

なるほど!まずは『得意の見える化』ね!最初の一歩を踏み出す…。まず無料会員登録だけでもしてみようかな!
私の場合(体験談)
私も最初は「文章なんて誰でも書けるし、出しても意味がない」と思っていました。 けれど思い切ってココナラに出品してみたところ、「分かりやすかった」「助かりました」と感謝の声をいただけるように。

初めて報酬を得たときは、「自分の得意が人の役に立ったんだ」と実感し、涙が出るほど嬉しかったのを覚えています。この経験は、自己肯定感を高め、人生の選択肢を広げてくれました。
まとめ:あなたの才能は、世に出すことで輝く
・「美玉のたとえ」が教えてくれるのは、あなたの得意は隠すものではなく、出してこそ価値になる
・今日からできる3つの行動――「自分の得意をリスト化」「小さな出品から始める」「フィードバックを活かす」――で自分の強みを世に出す。
・ココナラで出品することで、あなたの得意が誰かの人生を支える力になるかもしれない。そして、それは同時に、あなた自身の生き方に自信を与えてくれる。

小さなサービスから始めて、誰かの「ありがとう」を受け取る喜びを体験してみませんか?最後まで読んでくれて本当にありがとう!
¹)金谷治訳注『論語』岩波文庫 子罕第九(一三)より一部抜粋




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