学びて時にこれを習う──それは、うれしく楽しいこと
「何かを学んで、必要に応じてそれを実践してみる」
そんな経験、誰にでもあるのではないでしょうか。
初めて知ったときには難しかったことも、
何度かくり返しているうちに「少しわかってきた」と感じたり、
ふとした日常の中で「あの知識が使えるかも」と思い出す瞬間。
そんなとき、どこか静かにうれしくなる。楽しくなる。
その感覚こそが、まさに論語の冒頭にあるこの言葉──
学(まな)びて時(とき)にこれを習(なら)う、また説(よろこ)ばしからずや 學而第一(一)
につながっているように思うのです。
「学び」というと、どうしても義務や目標のようなものと結びつけがちです。
でも孔子は、「学んで、それを実践するたびに理解が深まり、自分のモノになっていくことがうれしい」と言っています。
そこに比べたり競ったりするような気配はありません。
ただ、自分のペースで「思い出してみる」「使ってみる」ことそのものが、喜びになる。
その視点が、私はとても面白いと思いました。
このブログでは、そんなふうに「自分の心に届いた論語のことば」を、
やさしく咀嚼しながら綴っていきます。
あなただけの「論語」
人の数だけ感じ方があり、解釈がある。
論語にだって「一人ひとりの答え」があっていい。
誰かの言葉ではなく、自分のことばで受けとってみる。
そうやって心に落とし込んでいけたらそれはもう、あなただけの「論語」です。
あなたが、あなたの「論語」を見つけるきっかけになりますように。
そして、ほんの少しでも心があたたかくなる時間をここで過ごしてもらえたら嬉しいです。
コメント